私の歩く道 ~時短生活〜

自分らしく生きていこう。強く美しい(顔が美人ということではないです)に憧れ、目指しています。仕事、育児、家事、毎日何かと慌しく過ごしています。自分にかける時間もゆっくり料理してる時間も全然足りないけど、出来る範囲で頑張ってます。管理栄養士の知識を生かして食べ物のことや、普段の生活の中で実践している時短テク、子育てのこと、仕事のことなど色々書いてみたいと思います。一度きりの人生後悔なく生きたいですよね!

会社を休むのはいつもママ 子供の体調不良の時どうしていますか

子供って本当によく風邪をひきますよね。
特に保育園1年目はやばいです。

うちは長男、長女ともにかなり休みました。
長女保育園2年目、長男保育園4年目ですがそ今も休みます。
保育園1年目の時は、年間40日近く有給を取得しました。
子供も熱が出て辛かっただろうな。
小さすぎる時期から保育園に入れたことに申し訳なく思い、ちょっと後悔したことも。

そして、子供が体調を崩すたびに会社を休むのは
いつも私であることに苛立ちを感じ、旦那にいつもイライラしています。

でも、よくよく考えてみれば、
家事・育児⇒ママ担当となった原因は私にあるのです。

我が家の家庭内事情をお話ししながら、
これから子供を産んで再び社会で働きたいと思っている女性に、将来の働き方について考えてもらえればと思います。

そして、子持ちのママさん、色々あるけどやるしかないので頑張りましょう。

専業主婦の母親を見て育った私の思い込み

私の実家は典型的な昭和の家庭です。
父親がバリバリ仕事をして大黒柱、母親は専業主婦。
平日父親はほとんど家にいなく、いつも母親が家事、育児をしていました。
そんな様子を見て育った私は、結婚したら私が家事、育児を中心にやらなければと、何も疑問を持たずにそんなことを思っていました。
 
結婚と同時に第一子妊娠 祝寿退社!・・・のはずが
29歳にめでたく結婚することになり、すぐに子供を授かりました。
専業主婦の母を見て育ってきたので、結婚したら家庭に入るつもり満々で、主人にも「会社辞めるね」と伝え、意気揚々と上司に報告。

しかし人員不足で引き継げる人がおらず、そうこうしているうちに隣の席の後輩の方がさくっと会社辞めちゃったりして、辞めるタイミングが延びに延び、結局辞める時期と産休に入る時期が同じになってしまいました。

だったら辞めずにとりあえず産休入ってみよう。
と軽く考え、産休を取得させてもらうことに。
しかし、育児は思ったより面白くなくて、
言葉が話せない赤ちゃんとの時間をどう楽しんだら良いのか分かりませんでした。
育休中は日々孤独でした。

仕事をしている方が楽しいかも。と思い子供が10か月の時に復帰しました。
家にいるよりは外にいたいという思いで復帰したので、仕事に対する心持は弱かったです。

想像以上!毎月…どころか隔週で休む子供
保活の激戦を乗り越え、何とか子供を保育園に入れていざ復帰!
と意気込んで復帰しましたが、子供は驚くほどに風邪をひきました。

1か月に1回どころではなく、隔週で休む感じでした。
片道2時間かかる場所に母親が住んでいるのですが、何度も助けに来てもらいました。
年間20~30回はきてもらったような記憶があります。
そんなにたくさん母親に助けてもらっても有給休暇は30日以上使いました。

休む度に会社に電話するのが嫌でした。
一度や二度ではなく、何十回も休んでいるからどんどん電話したくなくなって、電話する前に気合をいれて、緊張しながら電話を握りしめ、ようやく連絡するような状態でした。

休む度に「すいません」と謝り、申し訳ない気持ちになりましまた。
何で私だけいつも休まなければならないのだろうとイライラしまくりでした。
主人は「いつもごめんね。仕事大丈夫?」と気遣ってくれるですが、
「大丈夫じゃないけど、他に子供見てくれる人いないからしょうがない」とそっけなく答えたりして、
全面にイラつきを押し出していました。
悪気なく上司に嫌味を言われたりして、辞めたいって思うこともよくありました。
そう思っちゃうとすぐに「会社辞めようかな」と口に出してしまっていました。

そんな弱気発言をするから、主人はきっと、自分が一家の大黒柱として頑張らなくちゃという思いが強くなっていったと思います。
気が付けば、家事・育児=ママ、仕事=パパの構図が出来上がっていました。
そもそも、結婚して会社を辞めようとした時点でその構図、出来上がっていたのでしょうね。
自業自得なのです。

でも女って都合よく生きたい生き物だから、
なんか全部の負担が自分のところに来ているようで納得いきませんでした。

第2子生まれる 家庭内危機に追い込まれる
そんなこんなで何とか魔の一年目を乗り越え、2歳差で第二子を出産。
主人は会社でのポジションが上がり、産後マミートラックに乗った私はポジションアップなんて望めず
現像維持で精いっぱいでした。

仕事での立場や収入が、主人と私でどんどん離れていきました。
そしていよいよ二回目の育休を終えて仕事復帰。
仕事頑張るぞ!と意気込んでいた私は、営業として復帰しました。

二人目も7か月というまだまだ小さい時期に保育園に入れ、魔の1年目に突入しました。
母親は前よりも体が衰えてきていたので、片道2時間もかけて来てもらうのは申し訳なくなり、
どうしてもどうしてもどうしても休めないって時以外は連絡はしませんでした。

つまり私が休むことがただ単に増えたのです。

子供が二人になると、みごとに交互に風邪をひきます。
どちらかが引いて、治りかけたころに、もう一人が引く。
休む期間は一人の時の倍近く、半月会社に行けなかったことも何度かありました。
仕事は休んでもやらなければならないことはあり、
泣く我が子をあやしながら電話をしたり、メールをしたり、身心共にすり減らしながら働いていました。

きつかった。きつかったなぁ。

仕事も育児も中途半端で何をやっているのかよく分からなくなり、何のために働いているんだろうと働くことそのものに疑問を感じました。
目の前で泣いている子供を振り切って、泣き声が聞こえない部屋へ行き仕事の電話をしていました。
そんなことしたって、仕事も休みがちなので思うように行かず、売上目標を達成するだけで精一杯でした。

何で私だけこんに苦労しなければならないんだ。

子供が休む度にイライラし、家庭の雰囲気は最悪。
いつもピリピリしていました。

育児も仕事もいっぱいいっぱいで、子供が言うことを聞いてくれないときは大声で怒鳴りつけていたりしました。

感情のコントロールがうまくできず、怒鳴ってしまった自分に自己嫌悪になり、子供に泣きながら謝ることもよくありました。

こんな風になりたかったわけじゃない。

バリバリ働いて、子供との時間も大切にしている雑誌に載っているキラキラママを夢見て仕事も育児もと頑張っていましたが、限界でした。



話し合いは平行線で交わらず
何故休むのはいつも自分なんだろう。私が休むっていつ決めたっけ。
と不満は最大限に達し、主人と夜中に話し合いをしました。
話し合いで一番やっちゃいけない、泣くという反則技を織り交ぜつつ、家事と育児の分担について話し合いをしました。

しかし話し合いは平行線を辿るばかり。

旦那からは、仕事は休めない。休むなら出世はもう無理。同じくらい稼いで。できないならママ仕事辞めて。
端的にまとめると、そんなことを言われました。

仕事辞めよう
一つ歯車が狂うと、それにつられて他の歯車もどんどん狂い出します。
私はガッタガタの歯車を一生懸命回している状態で、もう疲れ切っていたので仕事を辞めることにしました。

「仕事辞めます」
恥ずかしながら、感情的になり30過ぎたおばさんが、職場で泣きながら上司に報告しました。

しかし、神様のような素晴らしく優しい上司は色々と辞めないでもやっていける方法を考えてくれ、
結局会社に残留することに。
なんじゃそりゃ!って感じですが。。。

主人との話合いで、彼の本心を知りました。
きっとこう思っているのでしょう。

金銭的に豊になるからママにも働いてほしい。
でも仕事はそこそこにしてね。
家事と育児の方を頑張って、子供休んだら会社休んで面倒みてね。
ママが仕事で出世することなんて期待していないし、そもそも時短で働いているから会社からもそんなに期待されてないよ。そんなに無理して頑張らなくていいんだよ。家庭に負担を与えるなら働き方を変えて。

でも私、働くことが好きだから仕事辞めません。
色々な経験が得られるし、人と関わることによって成長もできるし、外にいる方が刺激的だし。
働くの楽しいから辞めません。今の仕事は全然好きとかではないけど、働くことは好き。

主人=大黒柱、私=小銭を稼げる主婦となってしまい、対等な立場でなくなったのは、そもそも、結婚当初の初発点からだったのでしょう。
仕事と育児の両立がつらくなるたびに弱音を吐いてしまった私に
原因があるのです。

だから思うのです。女性のみなさん、産後どう働きたいかしっかり考えてください。
実際、マミートラックに乗らずに頑張り続けられる人はごく一部です。
雑誌ではキラキラしたスーパーママが紙面を飾っているけど、そんな人ほんとごく一部です。

そもそも、今の日本の社会では、男性が子供の体調不良を理由に会社を休むことさえ許されない雰囲気です。
一部の先進的な理解がものすごーくある会社を除いては、普通に会社員していたら、そんな簡単に休めません。
私の主人が言うように、しょっちゅう休んでいたら出世街道からは外されちゃいます。

両親が近くに住んでいるとか、
ものすごくお金を稼いでいて(もしくは会社で補助してくれて)ベビーシッターを雇えるとか、
ママ出世頑張って!って働くことをすごく応援してくれる旦那さんがいるとかでない限り、
子供がいながら、周りに引けを取らないくらい働くのってすごく大変です。

何より、一番近くにいる旦那さんに理解と協力を得るとが大切です。
その準備って子供を妊娠した時から、始まっているとおもいます。
妊娠したら、もしくは結婚する時とかでも良いから早い段階で産後の働き方について話し合いをすることです。
自分はどのように働いていきたいのか、家事と育児の分担はどうしていくかをしっかりと話し合ってください。

子供を産む前から想像するってむずかしいけど、
マミートラックに乗ってもOKなのか、乗りたくないのか。
でも、乗らないに相当の覚悟と誰かの協力が必要であることを理解してください。

マミートラックに乗りつつも、一生懸命頑張っているママさんたち!
子供はまだまだ風邪をひきます。
小学生になったら、インフルエンザとかで学級閉鎖とかもあります。
中学生になるくらいまでは、まだまだ子供の体調不良と向き合わなければなりません。

不満はたくさんあるけど、やるしかないのです。
仕事はいつでも辞められます。
でも一度辞めてしまったら簡単には元のポジションには戻れません。
いったん減った収入を上げるのは本当に大変です。

自分にとって一番大切なのは何なのか、ぶれない軸を持つことは大切です。
軸がないと、困難にぶつかったときにぐらぐら揺らぎまくります。

私も自分なりに色々たくさん考えて、一番大切なものは何か、
何が何でも守りたいものは何かを考えました。

考えてに考えた結果、自分にとって一番大切なのは「子供との時間、家族との時間」でした。

総合職という出世できるポジションから事務職へ変更し、
今しかない子供との時間を最大限大切にすることにしました。
正直、少し心残りはあります。もっとできたのではないかと。
でも欲張らず、大切な一つを守るための選択をしてみました。

世の中のママさん、本当にみなさん休む間もなく育児・家事・仕事と
スーパーウーマンで様々な業務をこなしていて素晴らしです。

そんなママさん達を見習って、私も自分の選んだ道を後悔することがないよう、全力で毎日過ていきたいです。


長ーくなりましたが、むーさんの子育てあるあるのつぶやきでした。(長すぎっ!)